「やっぱりおかしくない」日本の交通取締り

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最近、インターネット上を中心に警察の交通の取締り方についての批判記事が広がり、それに同意する声が多かったのを目にしました。

【参考記事】やっぱりおかしい交通取締のあり方

要約すると、警察の待ち伏せによる取締りについての批判です。
警察は犯罪を防ぐためにあるはずなのに、目の前の違反を見逃して、違反を確認してから取り締まるのはいかがなものか、という論点です。

確かに、よく違反が起きる交差点で待ち伏せして、違反を事後で取り締まるのを「なんで!」と思うのは、感情的には分かるところはあります。
しかし、そのまま受け取って「おかしい!」というのも少し早計ではないでしょうか。

目の前の違反1つだけの議論であれば、その違反1を0にすることはできるかもしれません。
しかし、警察は「目の前の1つの違反をなくす」こと以上に、「社会全体での違反を減らす」必要があるのです。


警察は、違反を0にすることはできない。

まず、大前提として、警察は世の中の違反を0にすることはできません。
皆さんもそうですが、人は誰でも自由に動け、違反をしようと思えば、いつでもできる状態にあるのです。

世の中の人は誰でも違反を犯す可能性はあるのですから、もし0にしようとすれば警察が全ての人に24時間マンツーマンで監視するしかありません。
そんなことは絶対にありえませんし、人々が望む社会ではないと思います。

ですので、警察にできることは、違反を「減らす」ことに過ぎないのです。

また、警察は税金で運営されている組織ですから、できるだけ少ない予算で動くことが求められます。
日本全国、警察がいる場所は限られていますから、いかに「警察がいない所で、違反をしたくないと思わせるか」という「抑止力」が重要になってきます。

目の前の違反1つを取り締まることだけでなく、そういった「抑止力を生み出すこと」も違反を減らすための警察の大きな仕事なのです。


目の前の違反を事前に防ぐと、むしろ違反は増える

この観点で考えると、「違反を事前に防ぐ」ことが良しとされ、「事後に取り締まる」ことで警察が批判されるようになると、違反は増えてしまうと考えられないでしょうか。

ルールを作る際には「そんなにルールをしっかり作られなくても、人は違反をしないだろう」という性善説ではなく、「ルールできちんと縛らなければ、人は違反をするだろう」という性悪説で考える必要があります。
性悪説で考えると、「事前に取り締まる」ということは「違反しても止めてくれるから大丈夫」という発想が生まれます。

「どうせ止めてくれるから大丈夫」なのですから、普段違反をしていても大丈夫。
運悪く警察がいても「セーフ」なのですから、日ごろから気を付けて運転をする必要がありません。即ち「抑止力」が弱まります。
すると、ルール自体が意味の無いものになってしまいます。

待ち伏せをしないことで、警察がいる限られた場所の、目の前の1つの違反をなくすことはできるかもしれません。
しかし、そういった「過保護」な取締りをしていると、警察がいないほとんどの場所で人は注意を払わなくなり、むしろ違反は増えてしまうと考えるべきです。


「どこで警察が見ているかわからない」と思わせることが大切

大切なことは、先に書いた通り「警察がいない所で、いかにルールを守らせるか」です。
それには、警察の姿が見えない時に、できるだけ「警察が見ているかもしれない」と思わせるということが重要になってきます。

それには、「待ち伏せ」はとても効果的です。
「どこに警官がいるか分からない」訳ですから、人は常時慎重に運転をするようになります。

確かに、目の前の違反1つだけを見た場合、違反は増えてしまいます。
しかし、そういった「油断できないような状況」を社会にちりばめておくことで、「警察が見ているかもしれない」と人々に思わせることができ、結果警察が見えなくても注意をするという「抑止力」となるのです。

これが、待ち伏せの取り締まりが、全くおかしい取り締まりではないと思う理由です。


「それで人が死んだら責任とれるのか?」について

こう話すと、「それで違反を見逃して、万一事故が起きて人が死んだら、責任がとれるのか」という話も出てきそうです。
しかし、それは言ってしまえば「気の毒だが、起きてしまたら仕方がない」ことです。

まず大前提として勘違いしてはいけない点は、責任を取るべきなのは「違反者」であって、「警察ではない」ということです。
そういった事態が起きてしまうのは違反者が悪いのであって、それが警察に飛び火をするのはさすがにお門違いでしょう。

それよりも、現在も毎日10人以上の人が「警察の見ていない所」で交通事故で亡くなっているのです。

そういった見えない場所での事故を減らすために、抑止力を優先するという判断は、決して見当違いではありません。


ノルマ制は、合理的なの仕組み

また、よくノルマ制が批判されることもありますが、仕組み自体に問題はないのではないでしょうか。
警察官といっても、「取り締まる」ことはとても面倒なことです。
一般人も捕まえれば抵抗もしますし、中には理不尽な主張をする人もたくさんいます。
警察だって民間の人と全く同じ人間です。人間は、基本的には怠惰なものです。
ですので、警察官も、できるだけ面倒なことはしたくありません。

その場合は、一般企業と同様に「目的に向かう行動をするための動機」を、組織の仕組みとして作る必要があります。
この仕組みがなければ警察官も怠けて、犯罪を見逃しがちな世の中になってしまうのではないでしょうか。

それを防ぐための仕組みが、ノルマです。
違反をきちんと取り締まらなければ評価が下がることに繋がるわけですから、目的に対して合理的な仕組みだと思います。

問題があるとすれば、ポイントノルマを達成するために、「違反でないものを違反とする」ような取締りをする警官が出てきた場合です。
ノルマ制がそういった警官を生み出す可能性を秘めているのは間違いありませんが、それはそういった不正には厳罰を処す等の別のルールで抑えればいいことです。
そういう意味では、ドライブレコーダーを全車標準導入する、というのが、現実的な解決方法になると思います。

少なくとも、警察官が面倒な犯罪の取り締まりをするための仕組みを「なくした方がいい」という結論にはならないのではと思います。


ミクロだけでなく、マクロの視点を

目の前の1つの事故を取り締まることで、目の前の1人の命は救えるかもしれません。
しかし、それによって「違反しても、事前に止めてくれるんでしょ?」と日本中のドライバーが思うことによって、社会全体では何100人という命が失われるかもしれません。

目の前の1つの出来事は、「見えやすい」ことです。
一方で、「今日は交通事故で15人が亡くなりました」といった社会全体のことは「見えにくい(感じにくい)こと」です。
ミクロとマクロ。どちらも大切な視点ですが、物事を考えるときはこの両方の視点を持つことが大切ではないでしょうか。

ここしばらくの「待ち伏せ批判」は、この「見えにくい部分」をあまりに見ていないのでは、と思い、その反対の示唆ができたらと思いました。

当然、あらゆる問題に議論は大切ですし、誰かが違和感のある所には本質的な問題が潜んでいる場合が多々あります。
ですので、こういった議論はどんどんされるべきではありますが、議論には広い視野が必要です。

「明らかに間違いだ!」と思うことがあっても、一度冷静になってディベートで反対側に回るように「本当にそうなのか?」という疑って考える時間を一人一人が持つことで、よりよい社会になるのではと思います。

 

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深石 学コラムニスト

投稿者プロフィール

神奈川県生まれ。
複数の事業を経営する経営者の一面もある一方で、哲学、表現学、ビジネスをテーマとしたコラムニストとしても活動中。
心の持ち方次第で、自らの人生を素晴らしくも醜くもしている人々を見て、「考え方を変えれば人生が変わる」をテーマに、読み手の人生をわずかでも豊かにするための文章を綴る。

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